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あいあい新聞 
看取りについて
ひとりの人間がその生を全うし、最期のときを迎える。この世に生まれてきた全ての生命には、必ずその終焉がおとずれます。幼くして命をなくす人、不治の病や不慮の事故などで命をなくす人、90年100年と生き抜き、大往生と呼ばれながらその命を終わらせる人…。
普段の日常生活の中で人の死に直面することは、きわめて稀なことでしょう。しかし、自分の両親や兄妹、配偶者や子供などがそのような死に直面したとき、みなさんは大切な人の死について、あらためて深く考えることになるのではないでしょうか。
悲しみで涙が止まらない、何かに対し言いようのない激しい怒りを覚える、あるときは自分を責める、途方に暮れ何も考えられなくなる、死を受け入れすがすがしい気持ちになる…。
ここでは、ひとりの人間がその生を全うしようとするとき、その旅立ちを『看取る』、ということについて少し考えてみたいと思います。

生きる、とは・・・
『生きる』ということはどういう意味なのでしょうか。また、『生きる』ということはどのように考えればいいのでしょうか。おそらく、平穏に生活を送っているわたしたちにとっては、その真の意味を導き出すのは容易なことではないのかも知れません。人が死に直面し、そのとき初めて生と死について考え、『生きる』という意味を自ら導き出していくものなのかも知れません。「天から授けられた大切な命、だからこそ、その命を最期まで全うして生き抜くべきだ」という言葉が、なぜかむなしく響いてくるような気がしてなりません。もちろん、命は何ものにも代えがたい、この世で最も大切であるもの、ということに異論をはさむ余地はないでしょう。しかし、『生きる』ということだけに目を向けるのではなく、『生きる』と同様に『死ぬ』ということも、天から授けられた人間の大切な宿命なのだと感じ取らなければならないように思えるのです。『生き方』を考えると同時に『死に方』を考える、あるいは『生きる』という言葉の定義が「この世に生を受け、そしてその生を全うすること」と考えるならば、『死に方』を考えるということは、ひいてはその人の『生き方』を考えるということにもつながるのではないでしょうか。
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医療の現場では「生きる」ことを大前提としています。それでも近年では、がんの末期を少しでも安らかに過ごしてもらい、そしてできるだけ安らかな死を迎えてもらおうという緩和ケアの考え方などが少しずつ広まり、「生きる」だけではなく、「死ぬ」ということについても目を向けられるようになってきました。しかし、その体制や規模はまだまだ小さく、多くの患者さまや療養者さまが「生きる」ことを前提とした医療の現場の中で死を迎えているのが現状といえるでしょう。
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『生きる』ということを、わたしたちは『生きてそして死ぬこと』と捉えたいと思います。生があるうちは精一杯に生き、そして死が近づいてきたときには精一杯に死ぬ。少しおかしな表現かも知れませんが、生きた最後に器質的な死がおとずれるのではなく、『生きる』ということと『死ぬ』という両者の観念を同じ重さで考えていきたいと思います。

自然な死
現代のように高度な医療技術が発達する以前は、多くの人が『自分の家』で死を迎えていたようです。病気や老衰などで食欲がなくなり、普通のごはんが喉を通らなくなる。お粥を作ってもらい、そのお粥も食べられなくなると、重湯で栄養を補給する。その重湯も喉を通らず、何も食べられなくなってから1週間程度で息を引き取る…。「昔はみなそうやって死んでいったものですよ」と、あるお年寄りからお話を伺ったことがあります。
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現在では、採血検査からはじまり、レントゲン検査、CTやMRIといった高度な画像検査、さまざまな治療薬や治療法、人工呼吸器などの救命装置の発達などにより、疾患の正確な診断と治療が実現できるようになってきました。それらは、大切な命を救うことができる医療の発達としてとても素晴らしく価値のあることだと思います。ただ、その陰で、『自然な死』というものの観念が曖昧になってきていることも確かなことではないでしょうか。
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何らかの原因で口から食事が摂れなくなった場合、「胃ろう」という栄養補給の方法があります。お腹からチューブを差し込み、胃の中へ直接栄養を注入するというものです。また、呼吸器能が低下し痰を出すことが困難になってきた場合には「気管切開」という呼吸管理の方法があります。喉元に孔をあけ、そこから呼吸の空気を出し入れできるようにし、痰も取りやすくするというものです。これらは比較的簡易な方法で実施することができ、多くの患者さまや療養者さまが利用されています。これらの手技を行うことで、苦痛の緩和や生きる時間を延ばすことは可能であり、「生きる」ことを前提としている医療の現場では、当然ながらこれらの方法は適切な処置であると考えることが一般的です。しかしここで大切なことは、これらの方法を行うときに、『精一杯に生きる』『大切な命を守る』という考え方とともに、『自然な死』という観念をもあわせて考えていかなければならない、ということのように思います。
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安楽死が法的に認められていない日本では、その特徴として「話ができなくても、目が開かなくても生きていてくれるだけでいい…」と考えるご家族の方が多いのだそうです。これは、ある意味で「日本人古来の美徳である」という報告も聞いたことがあります。延命と呼ばれる治療を何もしない、というのも『自然な死』でしょう。生きて欲しいからできる限りの処置をして欲しい、というのもまた『自然な死』なのかも知れません。ある療養者さまからは「生きて欲しいと思う人のために最後まで生きたい…」という言葉を聞いたこともあります。それも『自然な死』なのかも…。『自然な死』を考えるとき、これが正しいという正解はないようにも思われます。療養者さま本人の思い、ご家族の方の思い、それぞれの思いで『自然な死』というものが決まってくるものなのかも知れません。現代の医療現場の中でわたしたちが忘れてはならないのは、『自然な死』がどういったものであるのか、ということを常に念頭に置き、考え、そしてその考えに基づいて治療や処置などの方針を決定していくということではないかと考えます。

看取りとは・・・
『看取り』ということばを辞書でひくと「病人のそばにいて、いろいろと世話をすること。看病。またその人の臨終に付き添うこと」とあります。人がその最期のときを迎えるとき、多くの場合その数日前から、あるいは数週間、数か月前から、その人に対する看病は療養上のお世話を中心に多くの労力が必要となってきます。身体をきれいに拭いてあげる、きれいな寝衣に着替えさせてあげる、少しでも楽な姿勢をとらせてあげる、お下のお世話、食事のお世話、さまざま症状を緩和させてあげる援助など…。たとえ、それが愛する人に対しての行為であっても、ときには昼夜を問わず行われるそれらの看病にて、ご家族の方の心身の疲労はとても大きいものと推測されます。そして、臨終のときを迎える。手を取り最期の息が途絶えるときまで話しかけてあげる、息を引き取り旅立たれたとき、手を合わせ「お疲れさまでした」と祈ってあげる…。
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これらの『看取り』は、療養者さまが自宅、病院あるいは老人施設など、どのような場所で最期を迎えられるにせよ行われていくものです。ただその違いは、病院や施設では看病の主な担い手が医療福祉のスタッフであるのに対し、自宅の場合、ご家族の方にその比重が大きくなってくるということです。
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『看取り』を自宅で行うことは大変な困難を伴います。核家族化、少子化、女性の就労率の向上など、現代のライフスタイルは多様であり、決して自宅で『看取り』を行っていくに適した環境にあるとはいえないでしょう。ご家族の方にとり、『看取り』を行うことで何かを犠牲にしなければならない状況も十分に考えられます。そのような現状の中で、もしも環境が許すものであり、「自宅で看取ってあげたい」というご家族の方の思いがあれば、そして何よりも療養者さま本人の「家で死にたい…」という思いがあるのであれば、わたしたちは全力で、それが実現できるよう支援していきたいと考えます。わたしたち訪問看護に従事する者にとって、自宅での『看取り』を支援していくことが最大にして究極の目的と言ってよいのかも知れません。

看護師に何ができるのか
自宅での『看取り』を行っていく場合、当然のことながら主治医、ケアマネージャー、ヘルパーさんなど他の医療福祉スタッフの協力が欠かせません。療養者・ご家族の方に関わらせていただいているスタッフがチームとなり、一丸となって支援していく形をとります。その中で、看護師の担う役割というものを段階を追って考えてみます。
  • 自宅での『看取り』というものが具体的にどのような形になってくるのかをご説明します。病状の成り行きや身体状況の変化、予想される介護の内容、死の前兆など、その他、療養者・ご家族の方の『看取り』に対する不安や疑問などに対して、ひとつひとつ解消できるようお話を聞いていきます。
  • 自宅での『看取り』について、療養者・ご家族の方の思いを把握していきます。望まれる最期のときとはどういったものであるのか、それが可能であるか可能でないかに関わらず、療養者・ご家族の方の本当のお気持ちがどのようなものであるのか、といったことを知ることができるよう努めていきます。
  • 具体的にどのような支援が必要となるのかを考えていきます。療養者さまに必要なケアをご家族の方がどの程度まで行うことが可能であるのか、看護師やヘルパーさんなどがどの部分を支援していけばよいのか、といったことを、具体的な訪問回数・訪問時間などを考えながら調整していきます。
  • これらの支援を行いながら『看取り』に対する療養者・ご家族の方のお気持ちを確認していきます。
  • 自宅での『看取り』について、療養者・ご家族の方の方針が固まりサービスの調整なども可能となってきたら、主治医へ療養者・ご家族の方の思いを伝え、その思いに添えるような治療や処置などを実施してもらうよう依頼・調整します。
  • 主治医への報告のタイミングはケースにより異なり、この限りではありません。
  • 自宅での『看取り』の方針を固められていても、途中で入院を希望されたりと、その方針を変更することがあって当然です。「一度決めたからには最後まで…」といったふうに肩に力を入れ過ぎにならないよう、「できるだけのことをしていこう…」という思いで一緒に頑張っていければと思います。
  • 実際に支援を行っていきます。療養者さま本人の精神的・肉体的な苦痛ができるかぎり軽減できるような援助、そしてご家族の方が看病を続けていけるように、ともに考え、チームが連携し合い、創意工夫しながら『看取り』のケアを行っていきます。
  • 最期のときが近づいてくると、おおむね「そのとき」がいつ頃になるか、ということが推測できるようになります。ここまでくると、ご家族の方、スタッフの区別はありません。療養者さま本人はもちろん、ご家族の方、主治医、看護師、ヘルパーさんなどがひとつとなって、療養者さまの『生』の総仕上げをお手伝いさせていただくことになります。
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  • お亡くなりになられ主治医により死亡診断がなされた後に、合掌させていただき、看取り後のケアというものを行います。病院ではこのケアを看護スタッフだけで行う場合が多いのですが、自宅で亡くなられた場合、ご家族の方とも協同して行うことができます。お身体をきれいに拭き、きれいな衣装に着替え、生前のイメージにできるだけ近づけるよう容姿を整えていきます。眼鏡をかけ、義歯をはめ、愛用の装飾品などをつけ…。ある人は衣装を生前に愛用されたスーツを使用される方もおられます。それらのケアを行い、ご遺体に布団をかけ、最後にもう一度合掌をさせていただくと、そこでわたしたちの関われる『看取り』の援助が終了、ということになります。

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『看取り』については、いろいろな考え方や、やり方があると思います。わたしたち訪問看護師は、たとえどのような状況にあろうとも、療養者・ご家族の方の思いにできるだけ添えるような看護援助を提供していきたいと思います。そのために、看護師個々人の知識、技術、さらに死生観や人間性を磨いていくよう、日々、努力していきたいと考えています。

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